
由緒・歴史
須佐之男命 伊邪那岐命 伊邪那美命
天照大神 天之忍穂耳命 邇邇芸命 火遠理命 鵜葺草葺不合命
火之迦具土神 波邇夜須毘賣神 彌都波能賣神 和久産巣日神


除災招福をはじめ、夫婦和合、縁結び、家内安全、病気平癒等、多くの御神徳がある。近年では神武天皇を導いた八咫烏の神話に基づき、導きの御加護を求め、交通安全、必勝祈願に訪れる人々で賑わう。
昔、この地は柴崎新田と称し、享保年間に開拓された当時、七軒の家であったことから七軒家と名付けられた。そして熊野神社は、この地における鎮守として、享保十一年八月一日に創建された神社である。寛政十二年秋には二十三戸に増加した氏子によって御社殿が再建された。

明治六年十二月に※1村社に列せられ、明治四十年五月には※2神饌幣帛料供進の神社に指定され、明治四十一年五月三日に御社殿を改築した。また昭和二十年四月二十四日、米軍の空襲により建造物の一切を破壊され、昭和二十一年五月には境内地も駐留軍の接収する処となった。境内地は旧立川基地の一部として活用され、その後、国有地として管理される。全国の神社の中でも、返還されるまでに六十二年という長い年月を費やした事例は珍しい。


そこで、現境内地に移転し、昭和二十三年四月十五日には新たな御社殿が完成し、遷宮祭を斎行した。昭和三十一年九月十四日には現御社殿、社務所を新築し、当時の宮司、総代が和歌山県に鎮座する熊野発祥の地、熊野本宮大社に出向き、新たに※3御分霊を勧請奉安、熊野本宮大社分社となる。同時に旧境内社の津島神社を合祀し、※4十四柱の御祭神をお祀りする。
昭和四十三年十一月一日に市道新設を受け、曳家により御社殿と社務所を境内の奥へ移動した。
昭和五十一年八月、御鎮座二百五十年奉祝事業として、鳥居、狛犬、玉垣等を新設し、昭和六十一年には御鎮座二百六十年奉祝事業として、更に玉垣を新設した。また平成二年八月、皇紀二千六百五十年を記念して、熊野川をモチーフにした『せせらぎ熊野川』が完成した。
平成二十年九月十四日には旧境内地が縮小、変更されながらも国より返還されたことを受け、境外末社を建立し、遷宮祭を斎行した。『神様の里帰り』と称され、神職、氏子の悲願として新聞にも掲載される。平成二十七年より御鎮座二百九十年奉祝事業として、老朽化が著しい社務所、神輿庫の新築、御社殿の修復、境内整備と大きな事業を行い、現在に至る。


※1 村 社・・・神社にかつてあった社格(神社の評価制度)の一つ。現在は廃止された制度だが、由緒として記載することがある。
※2 神饌幣帛料・・・奉納される寄付金の一つ。現在は神社庁より奉納される。
※3 御 分 霊・・・神社に祀られる御神体より神様の御霊の一部を分けていただくこと。
※4 十 四 柱・・・熊野本宮大社の十二柱の神々と津島神社の二柱を合わせた総数。神様は柱(はしら)と数える。